Because of 愛とCANDY


中島健人くんのソロ曲「Because of 愛」の話。

Because of 愛の歌詞を見たとき、きっと誰もが考えたと思うんですけど、まさに和賀さんのキャラソン

ごめんね
僕は死ぬほど君を愛しているよ

BO愛の歌詞を書いたのはみんなに愛され斑目くんの時期だったらしいですけど、結果的に和賀さんの心情といくつもリンクするところがあり、見事に和賀さんのキャラソンとなりました。(斑目くんのあざとさ100%のきゅるるんキャラソンも作ってほしかったな…)
まあ、今回は本題とは関係ないのでキャラソンについての話は置いといて。


ここで問いたいのは、
本当にBO愛は

死ぬほど愛した女性への激重愛の歌なのか?

ということ。


この疑問を持ったきっかけは、BO愛の映像に登場した真っ白な世界にいるCANDY健人くんの存在でした。愛の化身ラブケンティー

何故今回のソロ曲に関係がないはずのCANDYの彼が突如として現れたのか?

彼の存在が意味するものは一体なにか。



この謎を紐解くのに重要になってくるのが、CANDY健人(以下、白健人)とBO愛健人(以下、黒健人)の関係性ではないかと思いました。健人くんの言葉を借りると、白の章と黒の章。GAP。
全て仮定の話でしかないんですけど、2019年にCANDYの彼に会えた事実を何か形に残しておきたくて、私はこのブログを綴ることにしました。仮定なので正解不正解はわかりません。CANDYのみぞ知るってやつです。とりあえず勢いで書きます。





まず、映像の流れについて簡単にまとめます。

白健人の世界に歪みが入ったかのように突然現れた黒い鏡のようなもの。鏡には自身の姿(白健人)ではなく、自分だけど自分ではない黒健人の姿が映る。

好奇心なのか、無意識なのか、まるで惹かれるように鏡に手を伸ばしてしまう白健人。

鏡を通して白健人と黒健人の世界が繋がり、お互いの指が触れた瞬間に白健人は白い砂になってしまう。

黒健人が白い砂に触れると、黒健人の瞳から一筋の涙が溢れる。

涙が白い砂の山に落ち、そこから目の前に現れる白い樹木。

黒健人は、白健人の樹木に実った赤い果実を齧る。

君が感情を持ったその時から
そして
君に感情を持ってしまったその時から
涙というものが溢れた (黒の章)

KenTeaserの言葉も一部お借りしましたが、まずポイントとなるのが白健人の白い砂
今まで暗くて黒い世界(闇)でたったひとりで生きてきた黒健人。そんな彼が触れてしまった白い砂。
この砂を通して、白健人の感情が怒涛の勢いで一気に黒健人の中に流れ込んできます。
黒健人自身もわけのわからない謎の感情が体内を駆け巡り、心が暴走し脳内が混乱していく中で、拒否反応なのかキャパオーバーなのか初めて涙というものが黒健人から溢れる。ケントロイドで例えるならエラーみたいなものかなと。


黒健人の中に流れ込んできた感情。
それは、

愛を知らなかった黒健人が、白健人に触れて初めて愛を知ってしまった。


白健人が持っている純粋で無垢で誰からも愛され愛す無償の愛。そんな“愛”という感情を黒健人はこのとき初めて知ることになります。
愛は、甘い甘い毒のように黒健人の身体を蝕んでいく。一度愛を知ってしまったらもう知らなかった頃の自分には戻れない。

もしかしたら樹木に実った赤い果実は愛を直接的に得られる一種の麻薬みたいな効果があるのかもしれません。足りない、もっと、もっと愛が欲しいとばかりに愛を求めて赤い果実を喰べる。所謂中毒症状。

「愛をくれ」と言うように
赤い果実 “が” 僕を誘うようにみえた (黒の章)

赤い果実 “が” という風に、“が”を強調して愛を求めているのは赤い果実であると主張していますが、実際に愛をくれと必死に愛を求めているのは黒健人自身なのではないかと。それを隠す為に敢えて “が” を強調。
まるで、愛を求めてるのは僕じゃない、赤い果実の方なんだと自分に言い聞かせるように。

運命に問いたい
2人をなぜ引き寄せた?愛
出逢わなければ
こんな苦しい想いをしなかったんだMy life

早く愛をくれ

得体の知れない“愛”という感情に侵されてしまった黒健人の葛藤。早く愛をくれ。足りない。愛が欲しい、もっと欲しいと踠き苦しんで、白健人の愛に徐々に蝕まれていきます。僕が僕じゃなくなる。



冒頭で白健人が砂になったとき、黒健人はにやりと不敵な笑みを浮かべていました。あの笑みから察するに、もしかしたら黒健人は白健人を砂にして、自分の中に取り込もうとしていたのかもしれません。
僕は僕(黒)だけで充分だとか君の力が欲しいとかそういう類いの思考。
結果的にそれはとても安易な考えで、白健人の愛に結局黒健人は飲み込まれてしまうわけですが。白健人を甘くみていた黒健人の落ち度。

一方で、白健人は好奇心であの鏡に手を伸ばしたかのように見えました。
しかし本当は自分を乗っ取ろうとしていた黒健人の狙いも全て見透かした上で、白健人があの鏡に手を伸ばしていたとしたら。

本当に愛が欲しかったのは
僕だったのかもしれない
君に出逢って悲しみや幸せを
感じるようになった (黒の章)

愛を知って、愛に激しく苛まれ、しかし愛を知れたおかげで悲しみや幸せを黒健人は初めて感じることができた。

黒健人は、ずっと“なにか” を欲しがっていた。
愛を知らない黒健人にとって、その “なにか” が “愛” ということは今まで気付かなかった。

愛。

彼が愛を欲しがっていたことを
白健人だけは知っていたのかもしれません。



実際の衣装の左半分が黒ジャケット、右半分が白シャツにはっきり分かれているのも、全てを飲み込む黒(闇)に決して塗り潰されず、何色にも染まることのない真っ白な白健人の強さを表現しているのかもしれないなと。
白健人は白であり続けた。





さて、色々と私なりに考察してみましたが、
最後に冒頭で投げかけた問いに戻りたいと思います。

本当にBO愛は
死ぬほど愛した女性への激重愛の歌なのか?


勿論色んな考え方がありますが、私の結論としては、


Because of 愛は

愛を導く者

愛を求めた者


そんな2人の

“愛” を取り巻く物語。


愛の行く先は誰も知らない
確かなものしたくて
きっと君は
それを手にしたんだ
全て愛のせいさ (白の章)



全て “愛” のせいさ



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